医療福祉事業への特化理由

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東京都内の老人化した病院への緊急入院…家政婦さんの介護に感動

大山税理士事務所は「医業をサポートすることで社会に貢献したい」という思いを1986年以来大事にしています。

1986年、私(大山)は大学院に在職中でした。その時、身内が緊急入院し看病が必要な状態になりました。私はすぐに病院に駆けつけました。その時に経験したことが、その後の運命を変えることになりました。身内は8人部屋で入院していました。私が部屋に入ると「苦しいよ〜」「助けて〜」「警察呼んでよ〜」という大きな声がしました。
入った瞬間、言い方は失礼かもしれませんが、ここは動物園かと間違うほどの喧騒でした。また、オムツの取り替えで排便の臭いが部屋中に充満していました。私の身内以外は高齢者ばかりで、看護婦さんに聞くと患者の皆さんは元校長先生であったり、現役時代は高度経済成長を支えるため、それこそ身を粉にして、働きに働き続けてくれた方たちばかりでした。

しかし、そのような大変な看護の中でも看護婦さん家政婦さんの働きに若い私は、ただただ頭を垂れるしかありませんでした。東北辺りから出稼ぎに来た彼女たちは、それこそ自分の親に対してもここまで出来るだろうかというほど温かい看護をされていました。その時私は思ったのです。「こんな尊い医業を支える税理士になりたい」と。
高齢社会などと言われる昨今と違い、日本がバブル経済に差し掛かる1986年に私はそう誓いました。

大学院を卒業後、私は世界最大手の会計事務所プライスウォーターハウスクーパー青山に入社しました。そして配属されたのは国際税務部門でした。入社初日に会社に行くと「ハロー」と言われたのが今でも印象に残っております。当時、税理士試験に通っていない中で採用頂きして、そして鍛えてもらったことを今でも本当に感謝しています。
とにかく一生懸命働きました。しかし、働けば働くほど「私はなぜ税理士になりたいのか?」という疑問がわいてきました。幸い仕事内容に不満はなかったのですが。

しかしながら、当初抱いた気持ちを忘れずにいたいという思いから、思い切って退職しました。それと同時に結婚もしましたので今思い返すと若さゆえにできた退職だったと思います。また、税理士試験に後一科目で最終合格となる状況だったので、退職後は専門学校での猛勉強と家族を養うために一刻も早く働かなければならないという状況でした。しかし、自分のやりたい仕事内容にかなった就職先がなかなかなく気持ちだけが焦るばかりでした。

そして、私はその後、師と仰ぐ人と出会うことになるのです。その方こそ関博さんです。
「医療に関する会計をしたい」という思いを抱き続けた結果、私は幸運にも関公認会計士事務所に入所することができました。関先生はいまだに私にとって背中を追い続ける大先輩であると同時に人生の師匠です。関先生は医業会計分野ではパイオニア的存在の大先生で、例えば大阪府庁・大阪府医師会と研究を重ねて一人医師医療法人の大阪府第一号を申請した実績があります。また三重県においても一人医師医療法人の第二号を関会計が行った医療業界では大変実績のある会計事務所です。

私は関会計時代にたくさんのことを学びました(叩き込まれました)。個人診療所から医療法人への組織変更は特に印象的でした。医療法人へ法人成りすることは、法定業務ですからある程度の件数をこなせば出来るようになります。しかし、院長先生(理事長)の意思(経営理念)をしっかりお聞きした上で私は法人成りをして頂きたいと思いました。そこで医療法人のメリットやデメリットをまずしっかりご説明し、その後、なるべく沢山の時間を理事長とお話しすることに努めました。医学部を目指された理由から、生い立ち、医療経営にかける思いを聞くようにしました。一見、法人成りには関係のないようなことかも知れませんが、せっかくのご縁があったお客様ですから一生のお付き合いをする思いで気持ちをこめて一つ一つ丁寧に法人成りをしていきました。

関先生には医療会計の基本をしっかりと叩き込んで頂き、本当に感謝しています。今での関先生とお話しする機会があるのですが、このように同じ会計人としてお仕事をさせて頂けることを誇りに思うと同時に、早く関先生に近づきたいと思っています。

平成3年の開業以来、常に初心を忘れず、仕事に取り組んでいます。今後ともお客様の経営(継栄)のために真面目にコツコツと仕事に取り組む所存ですので、職員含めどうぞよろしくお願い致します。

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